『シミュレーショニズム ハウス・ミュージックと盗用芸術』読書会
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読書ノート
どういう本なんだろう?
この本は、美術評論家の椹木野衣氏が書き、1991年に刊行された 主に80年代からあらわれたアートの新しい流れ、シミュレーショニズムとその周辺の芸術家について書いてある また、シミュレーショニズムの起きた背景や、その根幹をなす思想についても触れている、感じだろうか
これまでの進歩史観を前提とした美術とはまた違う美術動向に目を向けた本書は、当時のアート、カルチャーシーンに影響を与えた
シミュレーショニズムってなに?
広告やメディアをとおして周知されたヴィジュアルや、誰もが知っている名画など既存のイメージを、自覚的に作品に取り入れ大胆に変換させる、ポスト・モダニズムを代表する美術動向。1980年代、ニューヨークを中心に流行した。 ばる.iconこう(多分僕が)書いてるが、説明は全然足りてないわね。
とりあえず、1980年代のニューヨークを中心とした美術運動(動向?)のようだ。
追加で、シミュレーショニズムの芸術家の特徴について、本書から引用
それにしても、彼らの試みはそれ自体としては別に新しいものではない。むしろ、歴史的には終わってしまった動向を、もういちど何かしらの手を加えて、芸術の先端的な動向として、あえて打ち出していくというところがあったわけです。ファッションで言うならばいわば「リメイク」とか「リモデル」あるいは「レトロ」といったものに近いし、音楽で言うなら「カバー」とか「リミックス」とか、そういう考え方ですね。最近の社会的動向に倣って「リサイクル」と呼んでもよいかもしれません。つまり、美術史を大量生産する時代は終わった。これ以上、生産しなくてももう消費しきれないくらいの様式が過去に眠っている。歴史的廃棄物も、使えるものなら再利用しなければならない。ならばそれらのほこりを払って、腐った部分は切って捨てて使える部分は使い、リサイクルしてみたらどうか。あわよくばそのことによって、それらの様式の未知の利用法や、以前は気づかれなかった欠陥が見つかるかもしれない、というわけです。つまりそれは、外見上は一枚の絵画に見えるかもしれないけれども、実際にはすでに絵画ではない。絵画にとてもよく似ているけれども、ほんとうのところは絵画ではないもの、いわば絵画のシミュレーションなのだと。
『シミュレーショニズム』p19より
ハウス・ミュージックってなに?
ハウス・ミュージックっていうのは、サウンド的には既存のレコードからサンプリングした音に、ドラムマシンの4つ打ちを乗せるみたいな音楽なんだけど、定義は結構曖昧なんだよね。 問題は、このハウス・ミュージックとシミュレーショニズムってなんか関係があんの?ってことだと思う。
上のシミュレーショニズムの説明に、「シミュレーショニズムには誰もが知っている名画など既存のイメージを、自覚的に作品に取り入れ大胆に変換させる」と書いてある。ハウス・ミュージックも既存のレコードの音の一部を切り取って(サンプリング)、それを反復させて構築する音楽だ。
そこには既存の美術や音楽を盗用するという共通点があるんじゃなかろうか。そこを読んでいく感じ。
盗用芸術ってなに?
これは翻訳すると「盗用芸術」である。
ここは『シミュレーショニズム』から引用しよう。
p128
すでに「常識」と化した絵画作品や広告写真を複写、模造してそのまま援用するアプロプリエイション(シェリー・レヴィーン、マイク・ビドロ、アラン・マッカラムら)
つまり、既存の芸術をそのまま模造し自分の作品に援用していく手法である。当時、この手法を使う芸術家が出現し、シミュレーショニズムと一緒に、このアプロプリエーションなる言葉が使われていたようだ。
おそらく、椹木はシミュレーショニズム、アプロプリエーション、ハウス・ミュージックを、盗用芸術の文化として同一に並べ、このタイトルとしてあらわしている。
どう読んでいこうか?
筑摩書房から出版されている「増補」版には、本編の前に「講義編」が追加されている。
なので戸惑うが、元々の『シミュレーショニズム』は、「00 シミュラクルの戦略」から始まる(たぶん)。
読んでみるとわかるが、「講義編」は講義形式になっているので比較的わかりやすい。オリジナルの部分はなかなか難しい。特に最初の方の「01 非整数次元の芸術」はジャン・ボードリヤールの『シミュラークルとシミュレーション』の引用から始まり、よく知らん当時のアートシーンの用語が使われるので、面食らう。 なにが言いたいのか?とりあえず講義編と本編にノートも分けて書いていこうかな、という話である。
どう読むかは、方針など今のところ決まっていない。
とりあえず最初は内容や、出てくる芸術家などをまとめていくつもりである。